さて、新型コロナのおかげで3密という用語を毎日聞くようになりました。私にとって3密はなじみ深い響きです。密教を少しでも学習したことのある方は、おそらく、私と同じような感覚を覚えているのではないでしょうか。新型コロナに関する3密というのは、密閉・密集・密接の三つのことで、これを避けましょうという目標ですね。もちろん、我々の聞きなれている「さんみつ」というのはこの3密ではありません。聞きなれている三密というのは、「身密・語(口)密・意密」の三密です。(三密の詳細はこちら)
密教では三密行という行法を重んじます。身密として手に本尊の仏と同じ印を結び、語密として口に本尊の仏の真言を唱え、意密として心を集中させて雑念を捨て去り、精神統一した状態にとどめ、本尊の仏と心を重ねて一体となることを目指します。
この身・語・意の三密というのになじみがある私は、色々な場所で3密を避けましょうと呼びかけているのを目にしますと、なんとも言えない気分になるのです。変な気持ちと言うよりは、少しおかしいと申しますか、安倍総理が「3密を避けてください」と言うのを聞いて、世の中のどのくらいの人が身・語・意の三密を思い出すのだろうなんて、面白おかしく感じるのです。不謹慎でしょうかすみません。
そして、避けなくてはいけない3密ですが、この実践に身・語・意の三密が役立つのではないかとも感じるのです。すなわち、身・語・意の三密というのは、我々の行動や考えること全てを指しているのですから、これをうまくコントロールできれば、3密を避けるのは難しいことではないはずです。
もう少し厳密に言いますと、我々は普段、本当に何気なく行動していることが多いと思います。手や足の動きにそこまで注意を払ったり、自分の口から出る言葉に気を使ったり、心に思い浮かぶことを細かく分析したりというようなことは、あまり、していないでしょう。そこで、これを機会に少しだけ普段より気を使ってみるのも一つの方法かもしれません。
まずは、「身」から、もちろん家でじっとしていることが挙げられますが、そうも行かない時、たとえば、スーパーでの買い物ですとか、ふっと気を抜けば、すぐに人の近くに寄ってしまうものです。自分と周りの距離を保つことに、普段以上に気を配ってみると、いかに、自分が何も考えずに行動していたかが改めて理解できます。
次に「語」です。家の中ではそこまで厳密になることもないでしょうが、やはり、ふっとした時に差別的発言が出てしまうこともあるのがこの時期なのではないかなと思います。感染者や医療従事者、感染について発表した機関などへの差別的な発言。これも、悪気無く、つい口走ることもあるかもしれません。実は、私も知り合いがふっと口にした言葉に、もちろん私に対する言葉ではないけれども、あまり良い気がしないなと思ったことがあったのです。ですから、こういう発言は絶対に外ではするべきでないでしょう。ですから、自分の言葉にもいつも以上に気を遣う必要があるだろうと思うのです。このような時期だからこそ、いつもは何気なく話している言葉でも、実は、人を気づ付けるかもしれないことに心を配ることが必要です。
そして、「意」です。形がないだけに、これが一番難しいですね。我が子も長引く休校にストレスがたまりイライラが止まりません。だからと言って暴言をはく長女を見ていると、同時に私のイライラも止まりません。イライラを止めるのは大変ですが、いつもより少し時間があるので、自分の心の動きを少し注意深く観察してみることにしました。「なぜ、私は今怒っているのだろう。この気持ちはどこから発生するのかな?」と正解がわからなくても分析してみるのです。そうしてみると、意外と気づいたころにはイライラが治まったりします。
実際に行者さんが行うような三密行は我々一般人には到底できませんが、テレビで繰り返し「3密を避けてください」と報道されるたびに、コロナの時代の三密行動を自分の生活に役立てることができるかもしれないなと思ったりするのです。
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